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「学校に行く」という枠から外れてしまっている感覚がずっとあった:不登校でも居場所はあるよ – Branchメンターインタビュー

不登校になったお子さんは、どのように居場所を見つけていったのでしょうか?
また、お子さん本人はどんな気持ちだったのでしょうか。

今回は「今まさに子どもが学校行き渋りだ」「今まさに不登校になった」というご家庭の方に向けて、過去に不登校経験があるお子さんの今の生活や不登校時代のお話をお届けします。

この記事では、現在大学生で、過去に不登校経験のあるBranchメンターさんにインタビューをしています。

目次

好きなことはなんですか?

幼稚園生の頃から魚がずっと好きで、魚を追いかけて生きてきました。

また、小学生の頃に不登校になったのですが、母親の紹介でレゴ社が運営するロボットのプログラミング教室に通いだして、そこからレゴの製作に没頭していました。

現在の様子。今もずっと魚が好き。

客観的にどんな子どもだったと思いますか?

うーん、一言でいうと「凝り性」ですかね。

自分の心の中で「ストン」と落ちてきたことには没頭します。

「学校行きたくない」となった理由や経緯

小4に上がったときにクラスが変わったのですが、担任の先生と生徒間のコミュニケーションがうまくいかず、クラスの雰囲気が悪くなったんです。

そこでいじめにあいました。

4年生の間はずっとそうでした。

僕が元気なさそうにしているのを親が見ていて「学校に行かないという選択肢をとってもいいよ」と言ってくれました

それで4年生の3学期から不登校になって、小学生5年生で転校しました。ただ、転校先でも学校に行けず、そのまま中学3年が終わるまでは学校を休んでいました。

学校に行けなくなった時、自分自身どのような状態でしたか?

外部からのストレスが強かったので……。

徐々に、精神的にきつくなっていって、活発じゃなくなっていきました。

元気がなくなっていく感じですかね。

それで家にひきこもって、でも「学校行かないとな」と思ってはいました。

その時の気持ちは?

学校に行くのが当たり前で「学校に行かない」という選択肢がそもそもなかったんです。

親から「大丈夫?」と聞かれても、「いや。学校行くよ」と。

「大変だけど通うか」と、そう思ってました。

本人の中では、「学校に行かない」という意識はなかなか出しにくいです。

「学校いかなくてもいいよ」と保護者の方から言われてどうでしたか?

安心しました。

「そういう選択肢もありなのか」「それが良いなら、その方がいいな」と。
学校で友だちとワイワイ楽しんでいたら、すぐに「じゃあ休もう」とは思わなかったと思います。

母も父も「休んでいいよ」と言ってくれたので、「両親ともにそういう提案してくれるのであれば、安心して休もう」と。

学校を休んでいる間はどんな1日でしたか?

生活スケジュールが変わったタイミングがあります。

まずは中2の2学期。その前と後で全然違います。
始業式に参加してあまりに疲れたので、「もう学校に通うのは難しいな」と自分で納得したんです。

それまでは「また学校に戻りたいな」という意識があったので、校長室に週1登校したり、担任の先生と定期的に会ったりもしていたんです。

それがない日はレゴのロボットをいじったり、魚を観察したり、と自分の興味あることをしていました。

中2の2学期で「学校に通うのを目指すのは難しいだろう」と、思い直して、世田谷区のフリースクールへ行くようになりました。

学校という元の居場所に戻るのではなく、別の場所で居場所探しを始めたんですね。

フリースクールに通うようになってからは日中はそこで過ごすようになり、友だちもできました。フリースクールを中心に生活して、放課後はロボット教室に行く形になりました。

学校に行っていない間の人とのつながり

どんな人と会っていましたか?

不登校になりたてのときは、誰とも会わなかったですね。
一番つながりがなかった時期です。
とにかく元気がなかったので、人とつながる気力も湧かなかったです。

ロボット教室に行きはじめてから、自分と同じ興味の方向性を持った人とつながりました。
自分よりいろんな知識を持っている先生や先輩。

学校じゃなくて、趣味でつながる経験はとても大きいです。

大学生の今でも続いているコミュニティができました。

そういう人とはどんなことをしていましたか?

ロボット教室の授業は、プログラミングを学習する時間で、関係としては分かりやすく「講師と生徒」という形です。

ただ、大会に出るときに、チーム競技だったので同世代の人とつながる機会がありました
一緒に参加して、同じ目標に向かって、切磋琢磨する。

メンターもいて、関わってくれていました。

大会で仲良くなった友だちとは一緒にゲームしたりもして仲良くなりました。
学校の放課後、誰かの家に集まって遊ぶみたいなことと一緒です。

周りに対して、どんな気持ちでいましたか?

「学校に行く」という、その枠からは外れてしまってる感覚はずっとありました。

「枠から外れてしまっている」ことに対して、この先どう付き合っていくかに苦しんでいました。

「学校に行く一般的な枠の人生」という、自分の中で持っていた大きな社会像に対して、「戻らないといけないのか」「このままでいいのか」と距離感を測りかねていました。

学校に行っていない間、周りにどうしてほしかったですか?

できる限りのことをすでにしてくれたので、ありがたかったです。
学校に行っていない子どもにつきあうのは難しいとは思うのですが、うちの親はいろいろやってくれていました。

学校とはコミュニケーションは取れていたけど、学校に行っていない自分に対する理解を増やすチャンスがもっとあればとは思っていました。

でも、学校は他に生徒もたくさんいるし、しょうがないかなとは思います。

周りにされて嬉しかったことはどんなことですか?

タイミングを見つつ、両親が「こういうのやってみれば?」と興味を広げるために提案をしてくれたり、「こういう高校があるよ」と教えてくれたりするのは嬉しかったですね。

高校の見学ハードルが高くて僕は行けなかったのですが、中2の時に両親だけで行ってくれて「こんなんだったよ」と後で教えてくれたんです。そういうのもすごく嬉しかったです。

なので、自分が動けないときに両親が動いてくれたことが嬉しいことでした。

周りにされて嫌だったことはどんなことですか?

周りの大人は、将来どうするか不安だと思います。

高校進学について聞いてきたりとか、「ちょっとしつこいなぁ」って思うときもありました。「そんなこと言われても、こっちはまだ準備できないなー」とか。
そういうときに「こういう高校がある」とかだと、こっちとしては受け入れられないときがありました。

とにかく一番敏感なのは、自分の将来の話なんです。

興味を広げる系の提案はいつしてくれても全然大丈夫でした。

でも将来のことは自分でもいつも考えるし、一番不安なんです。
なのでそこを刺激されると……。

将来の話はしないといけないことだと思うので、そこが一番難しいですね。

現在

普段どんなことをして過ごしていますか?

今は大学生で海洋生命科学の勉強をしています。
大学で座学や実験をしながら過ごしています。
休みの日はフィールドに出て魚の観察をしています。

不登校時に感じていた不安は今も感じますか?

当時感じていた、「枠から外れてしまって、社会に対してどういう距離感でいればいいか分からない」といった不安は、今はほとんどないです。

時間が経つ中で、不登校から学校に通えるようになったり、自分自身に対する理解が深まったりと変化していったんです。

「自分はこうなので、できることとできないことがある」「なので、これしかない」「こういう関わりしかない」と自分で納得しました。

その距離感がつかめるようになってきました。

変化

自分が良い方に”変わったな”と感じたきっかけはありますか?

さっき話した中2のタイミングですね。

自分の「できること」と「できないこと」がよく分かったんです。

みんなは普通に学校に通っている、でも自分にはできないことなんだ、と。
体力的に消耗しちゃうので、自分にはできない。

できることとできないことが分かると、気が楽になるんです。

「やらなければいけないじゃなくて、自分にはできない」
「でも他にできることがある」
と、できないことを理解し自分をうまくコントロールすることが大事だと思います。

そういうのって積み重ねなんだと思います。

例えば、勉強の話だと、活字から色々な情報を読み取るのがずっと苦手だったんです。
他の人よりは全然頭に入ってこないなって意識がありました。入り方が違うので、そこで他の人と差がついちゃうんです。
そのあと受験のタイミングで、映像から情報を入れる方が断然入りやすいと気づきました。同じ量をやっても、結果が全く違ったんです。

学校だとみんな同じ方法で勉強しないといけないじゃないですか。
不登校だったから、自分に入りやすい勉強方法を選べました。

目標や進路など、具体的に考えていることはありますか?

今は、行動生態学という研究分野に興味があります。
生物(魚)の行動を研究する学問ですね。
大学院に進学して、研究かじろうかなと思っています。

魚がなぜそういう行動するのか、行動のきっかけとなるものを研究で探ります。

例えば、魚の中に、小さいオスが子育てを手伝う魚がいる(※1)。なぜ進化的にオスが子育てに必要だったのか、そういう行動をする原因がどこにあるのか、どういうところで生まれたのか、などを調べます。

そういうことを研究するのが行動生態学で、この学問を今後も学んで行きたいなと思っています。

※1:シクリッドの中のまた一部の魚で、社会性をもっているとされ、世界中で注目され研究されている魚。

将来の夢はありますか?

全然どうなるか分からないです。
とりあえず大学に入ってみて、行動生態学に出会いました。

そこでこれをつっついてみよう、深掘りしてみようと思っています。
先はわからないけど、自分の中にストンと入ってきたんです。

できるかぎりやってみて、やったら次も見えてくるかなぁと。

似た境遇で悩んでいる保護者の方、あるいは過去の自分に向けて伝えたいことがあれば教えてください。

難しいかもしれないですが、なんで学校に行かないといけないのか、一回考えてみるといいかなぁと思います。保護者の方も本人も。

傷つくのであれば、そこまで執着しないといけない場所なのかな?と思います。

僕もいじめがきっかけだったので、「学校には戻れるんじゃないか」と思っていたんです。

でもいま振り返ってみると、別に学校に特別執着するほど価値あるものだったものかは……自分を傷つけてまでいく価値あるものだったか……。
冷静に考えてみたほうがいいなと思います。

学校は友だちが増える良いコミュニティだけど、それが合う子と合わない子がいます。

学校への接し方は人それぞれ違ので、自分なりの接し方を探してください。

以前インタビューさせて頂いた動画

発達障害や不登校の子の「友だちができる。安心できる居場所」とは?

Branchでも1つの解決策として、不登校・発達障害があるお子さま向けの「学校外で友だちができる」オンラインコミュニティを運営していて、以下のような特徴があります。

  1. 家族以外の人との関わりが減ってしまった発達障害や、不登校のお子さま達が自分の「好きなこと」をきっかけに安心できる居場所や、友達ができるようなサービス。
  2. NHKや日テレなど多くのメディアにも紹介され、本田秀夫先生との対談や、厚生労働省のイベントの登壇実績もあり、サービス継続率は約95%以上。
  3. 小学校低学年のお子さまはもちろん、どんな子でも楽しく参加できるようにスタッフがお子さま一人ひとりに寄り添ったサポートを徹底。

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Branchオンラインコミュニティは1ヶ月無料体験ができるので、ご利用を迷われている方は一度お気軽に無料面談予約をお申し込みください。

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ライター/著者プロフイール

中里 祐次のアバター 中里 祐次 代表取締役

Branch代表。早稲田大学卒業後、㈱サイバーエージェント入社。子会社の役員など約7年勤めた後にサイバーエージェントから投資を受ける形で独立。自分の子どもがレゴが好きで、東大レゴ部の方に会いに行った時に目をキラキラさせていたのを見てこのサービスを思いつきました。好きなことは、漫画やアニメを見ること、音楽を聞くこと、サウナ、トレイルランニング、かなり多趣味です。Branchの子どもたちに鍛えられて子どもが好きな遊びはたいていできるようになりました。

会社概要

Company

社名

株式会社WOODY


代表取締役

中里祐次


設立

2013年11月11日


所在地

〒150-0034 東京都渋谷区代官山町9-10 Sodacco 2T02


株主

㈱サイバーエージェント、㈱ウィザス、ANRI、レジェンドパートナーズ、笠原健治氏、乙武洋匡氏、佐藤裕介氏、古川健介氏、中里、その他エンジェル投資家


会社概要

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社名

株式会社WOODY


代表取締役

中里祐次


設立

2013年11月11日


所在地

〒150-0034 東京都渋谷区代官山町9-10 Sodacco 2T02


株主

㈱サイバーエージェント、㈱ウィザス、ANRI、レジェンドパートナーズ、笠原健治氏、乙武洋匡氏、佐藤裕介氏、古川健介氏、中里、その他エンジェル投資家


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