不登校になったお子さんは、どのように居場所を見つけていったのでしょうか?また、保護者の方はどのようにお子さんと関わっていたのでしょうか?
今回は「今まさに子どもが学校行き渋りだ」「今まさに不登校になった」というご家庭の方に向けて、他のご家庭はどうやって情報を見つけ、居場所を見つけ、どのようにお子さんが変化していったかをインタビューいたしました。
この記事では、現在小学5年生・男の子の保護者の方にお話いただいた内容をご紹介します。
子どものプロフィール
- 名前:Dくん
- 好きなこと:ポケモン、にゃんこ大戦争、保護猫、星のカービィ、マインクラフト
おしゃべりで、自分の想像の世界で遊ぶのがすごく上手です。
年齢的なところもあり今後減るかもしれないですが、1人ごっこが好きです。
今もリビングでやってます笑
1人で何役もやってごっこ遊びをしています。その内容がすごく面白いです。
「疲れたから明日やるね♡」とめちゃくちゃ可愛い言い方をわざとしてきます。
これで私が「ぐぅ!」と撃ち抜かれて、反論できないことを分かった上での作戦です。正直自分の強みを自覚して利用しているのですごいと思っています。こういうのは猫から学んでいるらしいです。
猫のモノマネを可愛くやるのは今日もやっていました。
「おかぁさん、そんなに怒らないでね、ニャン♡」みたいな感じです。
こっちも和むし冷静になれます笑
不登校になったきっかけ
小学1年生の1年間は毎日付き添い登校し、行き渋りながらも何とか一般級でやっていました。でも、年度末からのコロナ休校で張り詰めていた糸が切れたのか、休校明けからは親がテレワークの日は欠席、出社の日は保健室登校となりました。
自分だけいつも遅れてしまうことを当時は最も気にしていましたが、数年後に「いやだったこと」を教えてくれました。
- 無理矢理やらされる。
- 課題が終わるまで帰れないよ、と言われる。
- まだ理解できないうちに黒板を消されてどんどん先に進んでしまう。
- キツイ言い方をされる。
これらは数年経った今でも許せない記憶として心に残ってしまっているようです。
その後、支援級に転籍し、少人数で彼のペースを尊重してもらえる環境になってからは毎日登校するようになりました。
学校側とのやり取り
まず入学の時点で診断がついてるのは伝えていました。
「こういう特性があります」「指示は個別にお願いします」「前の席にしてもらい、先生の指示が伝わりやすいようにお願いします」「支援員さんは出て欲しい」などと伝えていました。
学校が始まり、宿題が出るようになるとすぐに読み書きの困難さがあることで宿題拒否反応が出ました。
「漢字書き取りの宿題などでパニックを起こしているので、書くのは親の代筆でいいですか?なぞり書きでいいですか?」などと聞いていました。
その点については「大丈夫ですよ」と、担任レベルでOKが出ました。
そういった希望は叶えてもらえていたのですが、それでも行き渋りありました。
LD(学習障害、限局性学習症)に関しては、1年生の終わり頃診断がおりました。
それもあって「タブレットも使いたい」などをお願いしました。
その時は「できるけども、まずは他のみんなの理解を得ることが先だ」と、すぐには決まりませんでした。
結局コロナでICT教材を使うようになり、支援級に入ってることもあり、その後はトントン拍子でタブレットを使えるようになりました。
サポートブックは毎年作って渡しています。
当初はテンプレートだったけど、先生も忙しそうですし、改善しました。
「先生が何に困っていて、何が欲しいかな?」と思って、「来年のサポートブックは何が良いですか?」と聞きました。
「こんな事に困ったで家庭ではこうしている。」や「パニックへの対処法」「家庭の教育方針」が欲しいと言われました。
行き渋り中の子どもとご家族の様子
子どもは暗い感じでどんよりしてました。
元気なんだけど、いざ「学校行く」となると分かりやすくため息をしていました。
付き添い登校を毎日していて、しぶしぶ行く形。
幼稚園の時から行き渋りが激しかったので、私たち親は多少覚悟はしていました。
最初の幼稚園の時、母子分離が全くできなくて、お母さんがいないとダメという形でした。
転勤後は幼稚園が合わなかったです。管理が強い感じで「行きたくない」と。
のびのび系の雰囲気のところに転園して大丈夫になったけど、小学校は管理系が強くなるし、おそらくダメかな、と諦めていました。
なので行き渋りがあっても「やっぱりか」と。
学校に今は行ってるけど、「居場所はどうしようかな」と最初の頃から思っていました。
そこで一年生の夏からBranch roomに行き始めました。
幼稚園みたいにそのままのDを受け止めてくれる、Dらしくいられる場所を探したいと思っていたんです。
その後も「一つ居場所は確保できたけど、毎日行く場所じゃないし、どうしよう」と思っていました。
また、無理して子どもに学校行かせて不登校になるならまだましで、無理して学校に行って人生諦めて死んだ目で学校に行くのは嫌だな、と。
「1.なんで学校に行かないんだろう」という気持ちと「2.このまま行って人生諦めモードになったらどうしよう」「3.居場所どうしようかな」という3つが常に頭の中でグルグルしていました。
学習についての変化
最近は少ない量ですが、コンスタントに家庭学習に取り組めるようになりました。これまで学習に対する拒否感がとても強かったので驚いています。また、間違いを指摘するとパニックになっていましたが、受け止めることができるようになってきました。
家庭学習が習慣化してきました。
今までそこにたどり着くまで大変でした。
うちでは家庭学習を諦めていたんです。小学2年生からお休みしていました。
学校の支援級の担任の先生がすごく良い支援をしてくれました。彼に合うやり方で、うまく乗せたり、彼のペースで分かるようにやってくれました。
それで自信がついてきたんでしょうね。
「僕のペースでやれば、僕なりのペースで覚えられる」と言うようになったんです。
まだ2-3年生くらい国語・算数を中心にやっていますが、それが彼のペース。
私がすごく不安で、言ってしまったことがあるんです。
「みんなのペースとまでは言わないけど、みんなとこんなに離れていて不安にならない?」と聞いたら「ならないよ」と言っていた。
今までのDなら、お母さんが言うならその通りにしてきたけど、今は言いなりにならない。自分の主張、自己があって、すごく成長したなぁと。
周りに理解者が多くて、うちに寄り添ってくれる人が多くて、花開いてきた感じですかね。
最近は読むことに対する抵抗がすごく薄れてきました。映画の字幕などで学んでいるのだと思います。
日本語でも字幕をONにして見ていて、それによって読むのが苦じゃない感じになってきています。彼なりに学んできているんです。
お子さんが所属感を感じている居場所はありますか?
まずは学校の支援級です。
- 自分のペースを尊重してもらえる。
- 丁寧に説明してもらえる。
- 頭ごなしな指導がない。
- 先生が優しい。
- 基本に寄り添う。
- まず受け止めてくれるところから始まる。
というところが、Dには合っています。
気持ちの乱高下はいまだにありますし、最近は反抗期もあります。
自分的に矛盾を感じると言ってきますね。
でも成長したのか、最近は一度はちゃんと話を聞いてくれるんです。
例えば、以前にこんなことがありました。
どうしても気持ちが落ち着かなくて、学習する約束の時間になって、いやいや取り組んでいたら、給食の時間になりました。そうしたらすぐ給食を食べに行っちゃったんです。
その時に「時間守るのは大事だけど、好きなことだけ時間守って、嫌いなことはすぐやめるのは違うんじゃない?」と先生が言ったら、Dも理解してくれました。
無理やりやらされるのがすごく辛くて、拒否反応がすごいです。
なので、先生たちは「Dくんはスモールステップがいいね」と。
何か新しい単元を始めます、という時に、いきなり目標を提示して「ここに進みますよ」ではなくて、じわじわ長期間かけて先に進めていきます。
例えば、学習発表会の際に、国語のお話をアニメーションにして振り返る、というのがありました。そのゴールに向かうために、国語の時間に鳥とか森とかアニメーションに使う話を盛り込んでくれました。その時に、鳥や森のことなどを先に授業でで取り組んでいたので、Dにとって身近なものになってから、進めていったんです。
スモールステップの話で言えば、他にはイベントの参加なんかもそうです。
Dは音楽集会や体育祭など集団イベントが苦手です。
その時間になっていきなり放り込まれるんじゃなくて、学年でやる時に「ダンスとかを少しずつやって」「5分間だけ見学して」大丈夫そうなら「歌とかも練習してみる?」とか。そうすると、Dも心の準備ができて、取り組めるんですね。
Branchも所属感を感じています。
Dに聞いてみたら「好きなことを好きなようにできる。」「とにかく楽しい。」「メンターさんが優しい。」と言っていました。
また「ここ自分の居場所だな、ってところある?学校は?」と聞いたら「学校は居場所だと思う」と。
「Branchは?」「Branchもそう。」
「スイミングは?」「違う。」「放課後デイは?」「うーんまだ違う。」
その理由は分からなかったけど、Dが2年生の時の支援員の方で、Dが1年生の時の一般級にいる時から支援してくれて一般級→不登校ぎみ→支援級へ、という過渡期を見てくれた人が退職の際に手紙を私が書いたんです。
そうしたら、返事がすごいちゃんと書いてあって「最初はDくんつらそうでした」「『学校なんて大嫌い!』とすごく寂しい様子でした」「『学校は本当は楽しい場所のはずなのに』ともDくんが言っていました」と。
その支援員の方は毎回「Dくんと会えて嬉しい」と言い続けてくれた方なんです。
Dから当初は反応がなかったのですが、支援級に移った後に「Dくんに会えて嬉しい」と言ったら、他の子が「僕は先生に会えて嬉しい」と言ったんですね。その後、Dが「今日も僕に会えて嬉しい?」と聞いたようなんです。他の子から学んだんですね。
そういった関わり合いがあり、支援級に行ってから居場所ができたのかな、と。
要はDにとって、居場所は人が大事なんです。
お友だちができたとか、関わってくれるメンターさんが優しいとか、親しい人がいるとか。スイミングも楽しく関わっているけど、人の関わりで言うとそこまででは無いかなぁと。
人が重要。人が大事。
所属先を得た後、お子さんはどのように変化しましたか?
行き渋ることなく登校するようになりました。
一般級在籍の頃から加配でついてくださっていた支援員さんに「Dくんは居場所と友だちを探しているように見えました。支援級に転籍してそれが見つかったようです。」と言っていただいたのがとても印象的です。
とはいえ、転籍当時はこれまでの辛い気持ちが爆発したように毎日暴れ回り、授業が始まって静まり返る校内を大騒ぎしながら逃げ回っていました。「こんな学校ぶっ壊してやる」が口癖でした。その気持ちを否定せずに受け入れ、寄り添ってくださる支援級担任がいたことも大きかったと思います。
また、学区内で引越したため登校班が変わったのですが、同学年の子とゲームの話で意気投合したことも、学校に対する彼の心がほどけたきっかけになったと思います。
まずガラっと変わったのは、夏休み明けから転籍して通うようになり、小学校2年生10月にあった運動会明けのタイミングです。
その前の1ヶ月はほぼ学校に行っても大荒れ。最初私が行った時は、校舎をうわーっと逃げ回ってました。
毎日「学校大っ嫌い!」「ぶっこわしてやる!」と言っていました。
担任の先生が寄り添ってくれて、「そうだねそうだね、学校は壊せないから他の何か壊したりしようか」などと言ってくれていました。
それで学校に行くようにはなり、運動会が終わったら、急にニコニコで学校に行くように。
デトックスが済んだのかなぁ?理由は明確には分からないけど、タイミングは確実にそこです。
運動会に関しては「休みなのに、なんで行かないと行けないの」と幼稚園の時から大泣きしていたのに、その年はなかったんです。
1ヶ月くらいマイナス感情を先生に全部受け止めてもらって、発散してもらったのが良かったのかな。
ご家族の心境の変化
私の気持ちとしては、さっきの3つの気持ちを行ったり来たりだったんですが、中里さんに言われた言葉が大きかったです。
中里さんが当初担当メンターで、その頃行き渋りがすごくて、休みも多かったんです。
その時中里さんに「不登校になっちゃうかもしれません」とポロッと言ったら「そうなんですねー、まぁでもうちに来てる子8割は不登校ですよ」とサラッと言われたんです笑
あまりにもサラッというので「そっか、別に学校に行かない世界もあるんだ」と肩の荷が降りましたね。
小2の頭頃コロナ休校明けくらいの6月くらいに、Dが「休みたい」と言った時、その頃は仕事も休むことできていたので休ませたんです。
そうしたらDが「ごめんなさい」と言ってきたんです。
こっちから何も言ってないのに、それでも「ごめんなさい」と。
それで無言のプレッシャー与えていたのか、と思って。そんなことしたくないし、ずっと笑っていて欲しいなって。
学校には行って欲しいけど、無理していかなくてもいい。
学校じゃなくても、Dが笑って過ごせる場所があればいいな、と自分を顧みて反省しました。
不登校や行き渋りがあり、今まさにお困りの保護者さんにメッセージ
やっぱり居場所って学校だけじゃないと思います。
私自身はなぜ学校に行かせたかったかと考えると、学校で保証される学びが保証されなくなるというのが心配だったんですね。
なので「学びの保証は個人でやるには大変だけど、他の場所でもできるぞ」と開き直ったところが大きいです。
やっぱり子どもも自分も笑って過ごせるのが一番。
子どもがつらい思いをしてまで、行く必要はないです。
「学校以外の居場所もたくさんあるよ」というのを知ってほしいです。
「同じ状況の人がたくさんいる」というのを知るのも大きいです。
今はオンラインで生き生きしているのを見られるのはすごく良いなと思います。
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発達障害や不登校の子の「友だちができる。安心できる居場所」とは?
Branchでも1つの解決策として、不登校・発達障害があるお子さま向けの「学校外で友だちができる」オンラインフリースクールを運営していて、以下のような特徴があります。
- 「発達障害」や「不登校」で悩まれている保護者の方達がなんでも自由に悩みや困りごとを相談できる安心できるコミュニティや、家族以外の人との関わりが減ってしまった不登校のお子さま達が自分の「好きなこと」をきっかけに安心できる居場所や、友だちができるようなサービス。
- NHKや日テレなど多くのメディアにも紹介され、本田秀夫先生との対談や、厚生労働省のイベントの登壇実績もあり、サービス継続率は約95%以上。
- 小学校低学年のお子さまはもちろん、どんな子でも楽しく参加できるようにスタッフがお子さま一人ひとりに寄り添ったサポートを徹底。
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「学校外で友だちができる」Branchオンラインフリースクール
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