発達障がい児と、その子どもたちが興味を持っている分野の学生や専門家などをマッチングさせ、発達障がい児の可能性を伸ばすWEBサービスである『Branch』を運営している中里と申します。
みなさん、発達障がいに関わるお医者さまがどんな方なのか、普段どんな事を考えて働かれているか気になりませんか?
今回は成城学園前にある国立成育医療研究センターにて、主に発達障がいの子どもを診察していらっしゃる三木 崇弘先生に、WOODY代表の中里とRoots by Branch教室長の佐野でお話をうかがいました。
■三木崇弘先生
2008年 愛媛大学医学部卒
2008-2010年 愛媛県立中央病院にて初期研修
2010-2011年 愛媛県立新居浜病院小児科
2011-2013年 愛媛県立今治病院小児科
2013年-2014年 国立成育医療研究センター こころの診療部 フェロー
2014年-現在 国立成育医療研究センター こころの診療部 医員
ー 児童精神科医の仕事について
まずは普段されているお仕事について教えて頂けますか。
今は児童精神科を担当しています。子どもの心理的な問題と行動を扱います。その中で僕は児童期や思春期の担当ですね。
入院するほど重篤でもないけど、でも行動に課題があるみたいな子が多く来ています。
担当として一番多いのは、やっぱり発達障がいです。不登校のお子さんも多いです。殴る・逃げる・盗むといった問題行動はうちの病院ではそんなには多くないです。
医療機関にアクセスできるということで、保護者の方に“つながる力”があることが多いなという印象があります。
なるほど。医療機関にかかる力、つながる力があるというアセスメントにもなっているのですね。
そうですね。
保護者がお子さんの状態を問題だと思って、かつ子どもを病院に連れてこようと思って、実際に連れてくる能力があるということ。
そういう意味では、僕が担当するケースはそういうリソースに恵まれたケースだとも言えます。
なるほど、そうですね。そういう意味で、医療につながる力のある保護者のお子さんを診ているということになるわけですね。
対象となる子どもが児童期から思春期ということは、小中高校生ぐらいですよね?
ここは小児病院なので、基本的にはそうです。でも、大学生や社会人になってもフォローアップしているケースもあります。
診察しているケースは1日何名くらいですか?
1日10~15人ぐらいで、年間だと1,300~1,500ぐらいです。
すごい人数ですね。
そうですね。
★児童精神科をもっとよく知るためのポイント★
児童精神科医は、1日にたくさんのケースを診察します。児童精神科の受診は予約制のことがほとんどです。継続的に受診するにしても、頻度が月1~隔月1回くらいになることが多いでしょう。医師は毎日たくさんのケースに出合っているので、似たようなケースに出合うことも多く、だからこそ、「現状がどんな状態であるか」「どのような手立てが有効か」「今後の見通し(気を付けるべきことや明るい未来など)」を短い診察時間であっても、その日々の臨床実践(さまざまなケースとの出会いの蓄積)からお伝えすることが出来るのです。
ー 親の肩の力をふっと抜きたい
三木先生がこれまでご担当されたケースで、印象深い出来事やエピソードをお聞かせください。
僕は、子どもとのことよりも、保護者とりわけお母さんとの出来事が印象ですね。
1つは、僕が児童精神科で勤務する前、一般の小児科で勤務していた時の話です。
当時は、出生直後、生後2週間、1ヶ月、3ヶ月ぐらいまで病院で健診をやっていました。その時、1ヶ月検診で来るお母さんたちがもうみんなぐったりしていることがとても気になりました。お母さんたちはみなさん、一生懸命やってて、その結果ぐったりして、子育てが辛くなってることも多くて。
それで外来で泣いたりするんですよね。
なんか、これもったいないな、切ないなと思って。
僕は親が幸せにならないと子どもは幸せになれないと思っているので、まずは、お母さんのケアをしようと思いましたね。
お母さんに、ふっと気を抜いてもらって、いい意味で泣く場を作ったりとか。
と言いますと?
お母さんを、もうねぎらって、ねぎらって、
「ようやってるやん。それでええよ」って伝える。
お母さんたち、生まれたばかりの子どもを前に、不安になったり、自分自身の体調のしんどさがあったりで大変なのに、よーくがんばってるから。
だから僕は、それをそのままに伝えて、ねぎらっています。
ねぎらうどころか、尊敬しますもん。子育てしてるお母さんたち。
だって、子どもを育てるってすごいことでしょ?しかも新生児。常にお母さんたちは緊張状態ですからね。
そうすると、お母さんたちの肩の力がふっと抜けて、時には涙される方もいて。僕は、ねぎらっているだけ、当たり前のことを改めて伝えているだけなんですけど。
でも、そうして、ちょっとでも心が軽くなってくれたらいいなと思っています。
もう1つは、僕にとっては反省させられたエピソードです。
小児科にいた頃、僕の当直の日に生まれて、立会してすぐに大学病院に送った、すごい重度の先天性疾患のお子さんがいました。
大学病院から戻ってきて、そちらからの申し送りからも、おそらく○○症候群だろうという見立てがあって、でも診断はついていなかったのです。
僕もそうだろうと思って、その前提で話をしていたのですが、親御さんがまだそれを受け入れられない様子でした。
でも、状態を見守るためにチェックしなければならないことがいっぱいあるので、毎月、お子さんの採血をして、3ヶ月に1回、お腹のエコーをして、異常がないか診ていました。
定期的なチェックで母子に会うとき、僕は「お母さん頑張ってるね」ってねぎらってるつもりでやってたんですけど、ある時お母さんとやり取りしてる中で、ちょっと空気が悪くなってしまったことがあったんです。
その時、お母さんが泣きながら、「先生、親の気持ちが分かってない」って言ったんですよ。
それがすごいショックで。僕も一生懸命やってるのに、って(笑)。
でも、僕は、そのお母さんの言葉と涙で、僕は分かってるつもりになってやっていたということに気付かされましたね。
ありがちな話ですけど。
でも、僕にとってはとても良い経験でした。
良い経験というと、そのお母さんに悪いんですけど。
僕は小児科医です。
だから、医師として専門的なことをわかって診察しているのは言うまでもないことです。
でも、僕は親ではない。
僕は僕なりに子どものことを考えてやってきていたけれど、その子どものことを一番想っているのは、絶対親なんだなって。その時改めて確認しましたね。
だから僕は、子どもを診るにあたって、親っていう立場の人をものすごく尊敬してるし、尊重せなあかんと思っています。親はすごい。
だから親を認めて、慰め、時にはがちがちに力の入ったその肩の力をふっと抜いて、励まして、彼らが彼らなりに頑張れるようにお手伝いしたいって思っているんです。それが、子どもたちのためになるんだって思っています。
ー 親を支えたい
親の肩の力をふっと抜いて、泣ける場を作るっていうことについて、もう少しお話を聞かせてください。「親が幸せでないと、子どもが幸せになれない」。僕が聞いてて、そうだなと思ったし、共感したんですけど、どうしてそういう考えに至ったのでしょうか。
一般の小児科をやっている時って、僕ら小児科医は風邪を診る時ってけっこう本当に5分10分で1人診ないといけないので、ザーッと機械的に質問して診察して、言い方悪いですけど、さばいていくわけです。
でも、たまに客観的には明らかに何も症状のない子が来るんです。
別に熱もないし、ご飯食べてるし、おしっこも出てる。
いつもの機械的な質問をして、そういう情報を聞き取っていく限りでは異常はない。
でも、「なんかこの子おかしいんです」ってお母さんが言う子ってたまにいる。
そういう子って、不思議と受診した次の日あたりに調子悪くなるんですよ。
お母さんには、その子のちょっとした変化も繊細に把握できている。
僕らには「異常なし」に見えても、お母さんは異常を感じ取っている。
やっぱり、その子どものことを一番見てるのは親だなっていうことをひしひしと感じさせられましたね。
もちろんそうじゃないお母さんもいます。
心配性すぎて、毎日病院に来るみたいな。病院にそんなに来たら、逆に風邪もらっちゃうかもしれないから、来ない方がいいんじゃないかなって思っちゃうようなケース。
でも、何であれ、親はやっぱり子どもにとって一番の味方だし、一番心配してるし、一番分かってるんだなって感じています。
子どもに何か心配なことがあるとき、単純に僕らが子どもに関わるより、親が子どもに関わったほうが質の良い関わりができますよね。
僕らだって、たまにしか子どもには会えないわけですし。
だから、僕らのできることなんて、実はほとんどないんじゃないかと思っています。
やっぱり子どもにとって良くも悪くも一番影響が大きいのは親だと思うから、だから親が頑張れるように、これでいいんだって思いながら子育て出来るように、僕は支えたい。
それに、親が笑顔じゃないと、子どもは不安になりますよね。
僕が中学生ごろに、両親がよく喧嘩をしていて(苦笑)。その時の不安だった気持ち、すごい覚えてるんですよ。
結局、子どもにとって親の気分とかって、本当に天気みたいなもので、毎日嵐だと、それだけで毎日つらいし、しんどくなっちゃう。
親が幸せであるということは、子どもが幸せである大前提なんだなというのも、なんとなく僕の原体験としてありますね。
だから、一般の小児科の経験としても、僕の原体験としても、親を支えることが、子どもを支えることにつながるということに思い至りました。
ー 親って、誰も褒めてくれない
しかも、親って誰も褒めてくれないんですよ。
親って、全部出来て普通って思われていたり、95点でやっと満足いくかなぐらいの水準ですよね。でも、子育てって、山あり谷ありが当然ですよね。だから子育てをそんな基準でやってたら、もう苦しくてしょうがない。
そんな基準でガチガチに頑張って子育てしてたら、子育てが楽しくなるわけないです。
だから、僕はハードルを下げに行くというか。
イメージでいうと、100点の子育てをやってないとダメだと思って、ものすごく頑張ってる親がいたら、
「別に満点じゃなくてええんです。80点だったら十分すぎるくらいですよ。ほんまようやってるよ」って、
今やっている子育てを全力で肯定する。親が子育てでうまくできているところがあったら、小児科医みたいな専門家が、はっきりと言葉で肯定して認めるってすごくインパクトあるでしょ。
確かに。
だから、結構オーバーに褒めます。嘘はつきませんけど、誇張はする(笑)。
例えば、「私がこうしたのが悪かったんでしょ」みたいなことを言われるお母さんがたまにいらっしゃるけど、お母さんがしたことが致命的じゃない場合は、ちょっと関係があったとしても、「それ関係ないです」って言いますね。
だって「お母さんのせいですね」って言っても、誰も幸せにならないので。
そして、例えば頑張り方の方向がちょっと違っていたり、頑張れていなかったりする親御さんも、僕は全力で肯定します。頑張れてないのも、受容したいんです。僕が受容して、ちょっとでも親御さんの心にゆとりができたら、それはとても素敵なことでしょ。
なるほど。親のコンディションを安定させるために、それを専門家の方が積極的に肯定するって、インパクトは確かに大きいですよね。
だから、「医者が言う」「あえて積極的に肯定する」は印籠みたいによく使っています。
それで、親が楽になって、子どもが楽になればいいですよね。
そう。親が元気になって、子どもも元気になっていくかもしれないから。そうなると信じて、僕は親を積極的に肯定します。
ー発達障がい支援に関して課題に感じていること
それでは次に、発達障がいの支援や手立てなどについて、課題だと感じていらっしゃることはありますか。
そうですね。例えば、お母さんに必要な情報があまり一元化されていないという状況は僕も困っています。
何か発達障がいがあって、こういうサポートが要りますとかってなった時に、でも学校のことは学校に言わないといけないし、特別支援教室や支援学級を利用したいなら教育委員会に言わないといけない。学校で手に負えないことは病院に行って薬もらえって言われるし、療育したいってなったら、地元の自治体に行かないといけない。しかも、障がいの程度によって、補助が受けられるものもあったりする。
はい。
そういう補助を受けるには、お母さんが全部調べて、段取りをしなければならない。そうしたもろもろのことが、とても煩わしいなと思ってしまいます。民間の療育や福祉サービスも検討しようとしたら、本当に情報が多岐にわたる。
さまざまな情報を集めて取捨選択して、手続きして…って、まるでリアルRPGですよね(苦笑)。
これワンストップでできるサービスがあれば、絶対いいのになって思いますね。
確かにそうですね
そうなると、結局子どもに必要なケアが色々なとこに本当はサービスとして存在してるのに、届いてない可能性がありますよね。
それがもったいない。
僕らが分かる情報は適宜提供します。
でも、それらの情報をまとめて、必要なところに電話するのはお母さんで。やることいっぱいあって大変だろうなぁと思います。
そうですね。
以前、僕らも、相談窓口みたいなのをアプリで、それこそグーグルみたいに検索するか、もしくはもういきなりチャットが始まって、自分が住んでいる場所を伝えるか、相談内容から判断して、すぐに案内できるものとかあったらいいねって話してたんですけど、たしかにないですよね。
検索してもそこまで具体的な情報ほど出てこないですし。
せっかく良いものが民間でも自治体でも用意されているのに、リーチできる能力がないというだけで、それが利用できないってもったいないですよね。
じゃあ、そのサービスやコンテンツなど、中身自体は良いものがすでにわりとあるというご認識ですね。問題は、それを探さないといけないということですね。
そうですね。民間サービスも、行政の人もすごいよくやっているなぁと感心しています。
ー発達障がいをどう捉えているか
では次に、抽象的な話になりますが、先生は発達障がいをどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。
うーん…一言では答えづらいですね(笑)。
少なくとも、「困ってるんだよね」とは思っています。でも、僕、その一方で、「で、だから?」とも思っています。
僕が児童精神科に来て、最初の上司が、ひたすら発達障がいを診る人で、上司の外来に付いて、浴びるように発達障がいの子を診たんですよ。最初は、なんか叫んだりするし、大変だなとか思って診てたんですけど、自分が診療するようになって、そういう子たちと触れ合っていくうちに、なんか、「発達障がいの子」と「普通の子」(定型発達の子)の境目がわからなくなってきて。
いわゆる普通の子と、いわゆる発達障がいの子の違いって、本当にどこなんだろうってなった時に、僕、外来で、だんだん「それぐらい普通じゃない?」みたいなことで言うようになったんですよね。自分が。
そういうのを自覚した時に、ああ、なんか自分の中でその垣根はひとつなくなったかなっていうのを感じたというか。
結局、発達障がいって、人が“そういうくくりである”(発達障がいというくくりで、くくろう)って決めただけじゃないですか。
生活に支障があるから、それを発達障がいだと決めますよね。本来は、困ってるのを助けるために、枠組みを作るわけじゃないですか。
例えば、知的障がいがある子がいて、その子にはこういうことした方がいいから、じゃあ「知的障がい」という名前をつけて、法律上サービスの適用対象にしようね、みたいなところからスタートしてるはずなんですよ。
でも、今はなんだかそうじゃなくなってきたように感じています。
発達障がいという枠に、子どもをあてはめて見ようとしているのではないか、と感じることが多くなりました。
あともう1つは、発達障がいの人っていっぱいいるじゃないですか。
ハイスペックな人ではありますけど、うちの院内の医者にだってたくさんいるし、たぶんベンチャー企業を営んでいる方たちの中にもいっぱいいる。
見ようによっては発達障がいである、そういう人たちが世の中にたくさんいて、っていうか、むしろそういう人たちが世の中を引っ張っててっていうのを考えると、発達障がいかどうかって本当にどっちでもいいかなって思うんですよね。
なので、どう捉えているかって言われると、すごい難しいんです。
そうですよね。
もちろん、発達障がいの方は困ることが多いから、助けてあげたいと思います。なにかしらのアドバイスもしてあげたいともちろん思う。
でも、それが発達障がいだからかって言われると、別に発達障がいじゃない子どもも助けてあげたいと思いますし、サポートしたいとは思うんです。
ただまあ発達障がいがあると、特に困りやすいし、それに対して僕の専門知識が役に立つので、より張り切って助けたいとは思ってるかな。
あと、たぶん、僕、ちょっとアスペっぽいので(笑)。
なるほど。そうだとすると患者さんに共感することも多いのでは。
全然自覚なかったんですけどね。
成人の患者さんとかに、「先生も発達障がいですよね」って言われることが多々あって、「まじか!」って思いながら、振り返ると、確かに、外来のスケジュールが予定より遅れるとイライラするし(笑)、先々まで予定入ってるとげんなりしちゃう。
僕、聴覚過敏もたぶん多少あるんですよ。映画とか、最初の15分ぐらい結構しんどいので。
ああ、なるほど。
そうやって振り返ると、
「俺、この子らの気持ち分かるな」っていうのもあるので、なんかよりサポートしたいなと思うし。
自分が、今ある程度楽しく生きているというのもあって、うまく良いサポートや環境があれば、絶対彼らの人生が楽しくなると思うので、そういうことをしたいなって思っています。
ー「発達障がいに甘えるな」
あともう1つは、発達障がいの子に、僕が声を大にして言いたいのは、「発達障がいだからって甘えるなよ」っていうのはありますね。
どういうことでしょうか。
ケースにもよるんですけど、ある程度能力があってコミュニケーションツールも持ってる思春期・青年期の男子って、障がいについて告知すると3割ぐらいは甘えに走るんですよ。
「だって、もう、俺は障がい者だからしょうがないよね」みたいな。
発達障がいということに甘える子が結構出てくる。
そうするとなんでも発達障がいのせいにして、自分で頑張ったり、自分の環境を良くすることを放棄したりするんです。
なるほど。
いや、もうちょっと丁寧に言うと、甘えるという段階はあるのだと思います。
子ども自身が、自分の発達特性を理解・受容するのに、さまざまな段階があるとしたら、その中に発達障がいに甘えるとか、弱腰になるっている段階はあると思います。
あとは、年齢的にも、幼い段階で自分のことを幼いなりに理解することになったら、「発達障がいだから仕方ない」って、うまくできない自分を納得させようとする時期もあるかもしれない。今の世の中では、発達障がいというくくりにはどうしてもネガティブなイメージもまだありますからね。
だから、「発達障がいに甘える」ことが、全てダメだとは言いません。もちろん。
だけど、そこで終わってほしくはないんですよ。
どうしてもそう思うんです。
だから、発達段階的にも成熟してきた子や、周囲の環境が整っている子、フォローしてくれる人がいる子には、「こらこら、甘えるなよ」って言いたくなります。
だって、「君には、やっていく力があるやんか」「君には君の持ち味があるやん」って伝えたいから。
確かに、周囲に理解はしてもらったほうがいいし、サポートもしてもらったほうがいいんです。でも、それに胡座(あぐら)をかいた瞬間に、結局、障がい者っていう枠から抜けられなくなると思うんですよね。
なるほど。
なので、そこって、他の障がいでもそうだと思うんですけど、サポートがある前提で、周りと同じことをするために、自分がどうやって自分を世話するかみたいなところまで考えられて初めて、言い方きついですけど、一人前の発達障がい者かなっていうのはちょっと思っています。
そこに逃げがあると、彼らの人生もより良くならない気がします。
わりと、僕は年齢が上がれば上がるほど、シビアというか正直に言いますね。腫れ物扱いってしんどいですし。
そうですね。
発達特性があるのを前提で、こちらもその特性を当然受け入れた上で話をするっていう意味でも、空気読めない子には、「君は、空気読めてないよ」って言ったらいいと思うんですよ。
あぁ、なるほど。でもそれ勇気がいりますね(笑)
だって、読めないんだから(笑)。
空気読めないけど、でも俺はお前を応援してるぞっていうメッセージを伝えることのほうが大事な気がするので。
もちろん、誰彼構わず「君は空気読めない」って言うわけではないです(笑)。ケースにもよりますし、何より患者さんとの関係がきちんとできていることが大前提ですね。
ただ気持ち的には、どんなケースに対しても、発達障がいというものに甘えることなく、逆に自分の持ち味として活かしていってほしいなぁって思っています。
ー 発達特性はあるけど、困っていない人々
僕も息子がそうなので(※長男が発達障がい)、発達障がいのことを理解すればするほど、自分にもそういう傾向があるなと思いました。そう感じる人も多いのではないでしょうか。
そうですよね。発達障がいって、結局は定型発達の人から、障がいまでの間のグラデーションの中にありますからね。
だから、今のところ、自分のことや子どものことで困って、受診して初めて診断が付きうる。つまり、困ってないと診断がつかないんです。
困ってない人は、本当に隠れているというか。信州大の本田秀夫先生っていう先生が面白いこと言ってるんですけど、ASD(自閉スペクトラム症)ってあるじゃないですか。
はい。
本田先生いわく、ASD = Autism Spectrum Disorderっていうのと、ASWD = Autism Spectrum without Disorderっていうのがいると。
自閉的な要素は持ってるけど、Disorderじゃない。
困ってないっていう人もいっぱいいるよねという考え方です。
それすごい面白いなと思っていて。結局、その特徴のあるなし自体が、問題なわけではないっていう。
なるほど!
発達障がいも、結局ピックアップされるのって、困りごとがあるからじゃないですか。
こだわりがあるから病院に連れてこられるんじゃなくて、こだわりがあって、周りに迷惑をかけたり、親が困ったり、本人が苦しんだりするから病院に連れてこられるわけですよね。
そうですね。
別に多動があったって、感覚過敏があったって、こだわりがあったって、それ自体はいいんです。問題なのは、それによって、本人や周りが困っているということ。
障がいだからとか、発達特性があるから問題なのではないということです。
そこを本当はもっと分けて考えないといけないんだろうなっていうのは、ずっと思ってるんですよね。
そういう意味では、発達障がいで「症状」と言われるものって、ぜんぶ二次障がい的というか。理想論を言うと、究極、周りがものすごく上手に対応すれば、「症状」が出ないはずだっていうことも言えると思っています。
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前編では、普段されているお仕事の内容から感じている課題感や大事にされていることをお聞きできました。
後編では、Roots教室長の佐野からRootsで行っていることに対する質問や発達障がいが今後世の中でどう捉えられていくかなどのお話をお聞きしています。
後編はこちら。
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