■佐野 雄図
東京大学院物理学専攻の修士2年生(2018年3月卒)。
NPO法人サイエンスリンクの理事長で大学二年生から子供向けの体験教育に関わり東京都教育委員会と提携した大規模イベントの運営などを経験してきました。
科学を通して不利な境遇の子供たちにいろんな人との繋がりを持って欲しい、そう考えて不登校児や発達障がい児、貧困世帯の児童に対する実験教室の講師や企画をしています。
学部四年次には文部科学省、厚生労働省を目指していましたが、今年度より人材系ベンチャー企業に就職します。
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では、今回はBranchとBranch room (旧名Roots)の立ち上げをやってもらっている佐野さんへのインタビューです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、一番最初の質問としては、現在、教育全般について、課題として感じていることっていうのがあれば、お聞きしてもいいですか?
※他学校でのプログラム時の佐野さん
個性の多様化と画一的教育
分かりました。
ひとつが、子供の個性が多様化しているっていうのはよく言われていると思うんですよ。
発達障がいしかり、色々な場面で言われていると思うんですけど、多様化することに対して、あまり対応が追いついていないというのが今の課題かなと思っています。
どういうことかというと、僕、過去に教員を目指していて、官僚も目指していて、けっこう公教育に元々興味があったんですよ。
その公教育を目指す過程で気づいたんですけど、やっぱり日本の教育ってすごい画一性を重視しているんですよ。
で、その画一性というのは何としてるかというと、公教育の目的って基本的に、日本の子供たちに教育して、生産性を上げたいっていうのが目的じゃないですか。
基本的に、国の国力をつけたいというのが目的なんで。
そうすると、あんまりニッチな層に合わすより平均的な層にガッと合わせて教育したほうが効果が上がりやすいじゃないですか。
なので、元々、公教育ってそもそも個性を拾うとか、そういう考え方というよりは、平均的なところにドバッと移すみたいな、そういう教育をするのが当然なんですよね。
ただ、それってあまり公教育のせいだとは思ってなくて。
むしろ、公教育が補い切れていない部分って、民間が補うべきだと思ってるんですよ。
だから、そういう意味じゃ公教育って画一性が当然だと思っているので、根本的な問題としては、公教育に頼りすぎてるんじゃないかな、みたいな部分を感じてるんですね、僕自身は。
ああ、なるほど。
公教育が対応できない発達障がいのところ、不登校児のところなど、Branchのようなサービスがもっと増えて、プレイヤーが増えないとダメなんだろうなという気がしています。
おそらく、そこで官と民がもうちょっとお互いを双方的に担うようにしていかないと、教育業界自体が成長していかないんだろうと思ってるんですよね。
育てたい像の相違
もうちょっと深掘りさせてもらうと、その辺りの民間プレイヤーが増えたほうがいいって話に関して、そのためにこうしたらいいかなとか、思ったことがあったりします?
まず一つ目が、個性に応じる教育をすることによって、おそらくプレイヤーが増えるなっていうのを思っているんですよ。
ただ、自分の意思とか、やりたいことがある、という人たちを僕たちが育成することができれば、自分の次の代に繋がってくるじゃないですか。
っていうのは分かるので、目的と手段が、鶏と卵状態になってるんですけど、まず自分たちがそういう教育をしてプレイヤーを増やしていくっていうことが、まず仕事としてあるだろうなと思っています。
あと、教育業界全体の雰囲気なんですけど、公的な機関はあまり民間のことを好きじゃないんですよ。
おお、そうなんですね。
で、学校の人たちは、あんまり塾や民間のことを好きじゃないじゃないですか。
ああ、なんかその辺の肌感、僕ちょっと分かってないんですよ。そうなんですね?
そうなんですよね。なんて言うんですかね。
やっぱり、学校と塾って敵対関係の雰囲気が強いんですよ。
へえ、なるほど。
正直言って、そうですね。
だから、学校側からしてみると、「いや、塾のほうが分かりやすいって生徒たちは言うけど、僕も教えてんじゃん」みたいな感覚があって、
塾からしてみれば「おまえら、つまらねえ授業するのが悪いんだろ」みたいな感じになって。
そういう”主義”みたいなのが強いんですよ。
自分の育てたい像みたいなのが強いので。
あまり融和してないというか、色々な自治体で意見のすり合わせっていうか、一緒にやろうね、みたいな雰囲気、あんまり感じないんですよ、僕。
学校と民間、要は公教育と民間が融和してない?
うん。
なるほど。
例えば具体例で言うと、公的な電話相談だと、民間サイドの紹介って一切してないじゃないですか。
相談受けている側からするとオススメの民間機関やサービスがあったとしても、紹介できないんですよね。
そうなっちゃってますね。
基本的に癒着を防ぐために、民間とあんまり協力しないという原則は、官とか公教育にあるんですけど、それによって失ってるものがだいぶ多い気がするんですよね。
ああ、なるほど。はいはいはい。
それ、けっこう官僚とかの世界でもそうだと思いますね、きっと。
教育観の合意形成が難しい
なるほどね。そうしたらちょっと視点変えて、また課題の話なんですけど、国の政策を決める方だったり、官僚の方側から見た教育業界への課題など、何か思ったことあります?
※プログラム中の佐野さん
ああ、それすごく思っていて。
元々、僕、学部4年か修士1年の2年間で官僚を本気で目指して、一応、試験には通ってるんですよ。
ああ、そうなんですね。さすが。
なので、一応、官僚の方2,30人ぐらい、文科省、厚生省、経産省とか会ってるんですよ。
で、それ含めて、じゃあまず、官僚たちはどう思っているかというと、まず文科省の人が絶対言うのが、教育って他の分野と違う特徴的なことが1つあって、さっきも言ったんですけど、お互いの教育観みたいなのが強いんですよ。
教育観。
教育観。
要は子供をこう育てるべきだ、みたいな。
お互いっていうのは、文科省だったら文科省、経産省だったら経産省ってことですか?
個人個人ですね。
あ、個人個人。
国民全員。
官僚もあなたも僕も全員含めて。
中里さんもあるじゃないですか。好きなことやればいいんじゃない?っていう価値観があったりとか。
自分が受けてきた教育とかはコンプレックスの塊になって、それが表出して子供に対応しているので、お互いが合意形成そもそもしづらい分野だっていうのはよく言われているんですよね。
ああ、なるほど。
だから、他の分野よりも、何かを決めようとなった時に、「全然進まない!」みたいな部分は、官僚たちから見てあるみたいですね。
しかもやっぱり、教育行政ってけっこう普通の行政とは違うので、教育委員会と学校現場に力がある程度強いみたいな状況なんですよね。
例えば、具体的に言うと、日教組とか、教育委員会の反発があると、文科省もなかなか強気に出れないみたいな形があったりとか。
そもそも、産業界からの要請、こういう力を育ててほしい、みたいなことがあって、そこの色々な主体が教育に対して期待をして、色々なことを求めてくる。
そうすると文科省側は「そんなこと言われてもお金ないよ」みたいな感じになるし、間を取る合意形成は難しいし。
僕から見て、がんじがらめになって動けなくなってる、みたいな印象をすごく受けましたね。
なるほど。
僕はこういう合意形成されればいいなと単純に思っているのは、「未来はこうなるから今の教育はこうなっているといいんじゃない?」みたいな話だったらいいなと思ってるんです。
「今まではこうだったから、こう行こうよ」が今は多いと感じます。
その2つの派閥があるのかな、ざっくり言うと。
ああ、なるほど。
僕らの子どもが就職する2030年代頃には、テクノロジーの影響でより個性が大事になっていくはずだから、個別化教育とか、お子さんが好きなものとかを伸ばしていって、主体性を備わせてたほうがいいですよね、という内容だと思ってるんです。
だけど、今までこうだったからこうして行こうねみたいな話が、多いのかなと思ったんです。
いや、でもけっこう、描く未来とかも違いますからね。
ああ、そういうことか。
こう言ってはなんですけど、学校側が見ている未来って、僕らみたいなすごいアクティブに起業とか目指しているような人たちと見えている未来、違うんですよ。
なるほど。
学校の先生からしてみると、「そんな不確かだからこそ、基礎学力っていうのがもっとも大事」だと。
ああ、そういうことか。
っていう考え方になるわけですよ。基本的に。
それは、教育実習行って、すごく感じたんですよね。
具体的に言うと、教育実習のエピソードなんですけど、いまアクティブ・ラーニングとか色々あるじゃないですか。
個性を引き出すような主体的な学びの場を用意しましょうっていうのがあるんですけど、僕を指導してくれた先生っていうのは、それ大っ嫌いな先生だったんですよ。
へえ!
進学校の数学の先生なんですけど。
その人が言ってるのは、アクティブ・ラーニングとか、主体的に考えられる能力はそもそも彼らにはない、みたいな。
ええ~!?
みたいな感じの考え方なんですよ。
実際、授業すると分かるんですけど、思考力ない子っているんですよ。
こっちがAだからBだよねって言っても、まったくスカ~ッと抜けてたりとか、そういうのを教師の場感としてあるんですよね。
なので、そういう基礎とか思考力とかが全然できてない子に主体性を持たせて考えさせるって言ったら、落ちこぼれるのが目に見えてるだろうと。
だから、ここは教科書通りにワンステップ、ワンステップで一番分かりやすい方法で、まず道を整備して、整えてやるべきだ、みたいな考え方をしていらっしゃったんですよ、その先生は。
で、僕はその方に3週間指導していただいて、まあ、そうだなと思った部分も正直言ってあります。
実際、アクティブ・ラーニングとかやると、けっこうついてこれない子っているんですよね。
はいはいはい。
差が出ちゃうっていうか。
それって、ちなみに、小中高、どこですか?
高校ですね。
あ、高校か。なるほど。
はい。だから、そういう方の意見もだいぶ教育業界にあるんです。
結局、未来に対して、色々な考え方があるってとこに落ち着いちゃうと思うんですよね。
主体性はなぜなくなっていく?
分かりました。
今の話で思った、、、というか普段の経験から思うのですが、小さい子どもって、主体性ないですかね?
小学校2,3年生ぐらいまでの子だと、自分の気持ちの赴くままこれやりたいあれやりたいっ、ていうのが全くない子を僕が全く見たことがなくて。
どう思います?
僕は、主体性はそもそも生まれた時や幼い頃はあると思いますね。
ただ、小学校高学年になってもそうかと言われると違いますからね。
それってなぜなくなっていくんですかね?
よく言われるのは、やっぱり学校とかで主体性を発揮する場面がないからっていうのが一番あるとは思いますけど。
はい。
基本的に、学校とかだと主体性って発揮しないほうがいいじゃないですか。
あえて聞きますけど、それはなぜですか?
学校だと、平均値にいる子どもを演じるほうが楽なんで、お互い、先生も子ども側も。
さっきも言ったように、公教育って平均値目指してるので。だからまあ無難なんですよ。生徒からしてみると。
だから、あえてそこで素を出す理由がないですよね。
それやっているうちに、主体性がなくなってく可能性はあるって話はありますよね。
ありますね。単純に、分別がついてくっていうのはあるかもしれないですけどね。
ああ、そういうことか。
公の場所で騒ぐとか、出来なくなるじゃないですか。大人になっていくにつれて。
まあ、そういうのもあるかもしれないですけどね。ただ単純に。
逆に言うと、主体性の塊の起業家みたいな人たちって、まあ子どもみたいな人が多いですよね(笑)
そうっすね(笑)まあ、言ってはなんですけどね(笑)
たぶんそれは、きっと学校の中で空気を読まずに生きてきたから。
そんな感じなんじゃないですかね(笑)
様々な教育現場の融和
あと、言いたかったのが、教育業界の課題みたいなところなんですけど、ちょっと僕自身が長らく公教育を目指していた立場から言うんですけど、やっぱり公教育って、すごい暗に画一性を押しつけてるみたいな文化ってあるんですよ、本当に。
で、ただそれを、本当はなくしたいんですよね、僕自身は。
すごい分かりやすい話だと、髪の色同じに染めるとか、あるじゃないですか、今でも。
それなんやねんそれって感じですけど。
そういう文化みたいなのを打破してほしいんですよ、民間の人たちに本当は。
おそらく、学校の内部から変えることってほぼ不可能なので、見ていて。
官僚も変えられないし、学校の現場の先生も絶対そんな変えられないので。
文化として根付いちゃってるんですよね。
だから、起業家や民間の方々って学校面倒くさいなとか思う場面も多かったかもしれないですけど、できるだけ学校に働きかけたりとか、色々な文化を持っていって、学校からそういう画一的な文化が少しでもなくなっていくような機会というのを用意していただけると、本当に嬉しいなと僕は思いますね。
逆に、僕ら側というか、民間側は敵対心なくした方がいいですよね。
まあ僕は全く敵対心持ってないですけど。
だから、さっきの主体性を殺してしまう、生かしてしまうとか、主義主張の違いで相反するんじゃなくて、本当に融和してほしいなって思っています。
自分らしく生きて欲しい
では、メインテーマのところなんですけど、BranchとかBranch room(旧名Roots)の立ち上げから参加していただいているんですけど、まず、Branchからですね。なぜ参加しようと思ったんでしょうか?
僕、クラウドファンディングに書いたとおり、元々、小学校とか馴染めなかったキャラだったんですよ。なので、その頃の記憶から、自分らしく生きてほしいなというのがすごいあるんですよね。子どもたちに対して。
で、そう考えた時に、僕、元々発達障がいとかに限定して支援してるわけじゃないんですけど、たぶん、「好き」を伸ばすというのは、自分らしく生きるってことに繋がると思うんですよね、すごい。それだけじゃないと思うんですけど。
だから、Branchに関わることで、子どもの「好き」をどうやって見つけて伸ばすかというのが分かれば、「色々な子たちが自分らしく生きることを支援する。」そのことに何かヒントが得られるんじゃないかなって思ったんですよね。
それに、そういうヒントが得られる云々とは別に、単純に発達障がいとかで明らかに自分らしく生きられてないような状態にある子たちを出来るだけ自分の存在で支援できればという思いも当然ありますし、その2つからという感じですね。
自分でも民間サービスを立ち上げてみよう
いいですね。
「好き」を伸ばすっていうのは、イコール自分らしく生きるに繋がるってなんかすごいいいですね。
なるほど、分かりました。
では次に、Branch roomに関してはどうでしょうか。
今回の記事で初めて外に出すことになると思うんですけど、基本的に佐野さんが自分で手を挙げて、やりたいですっていうので立ち上げてるんですよね。
なぜその立ち上げを希望されたのかっていうのをお聞きしたいんですけど。
そうだな、さっき業界の良くない点で、民間のサービスが少ないって言ったじゃないですか。
プレイヤーが少ないって話。そもそも、僕の価値観として、足りないって課題が分かってるんだったら、自分がやれよっていうのが根本的にあるんですよね。
ああ、なるほど。はい。
だから、まあ課題が分かってるんだったら、僕、行動するわって思ってやったっていうのが、一番ですかね。
たぶん、Branch roomとかBranchやっていけば、本当に自分らしくある手がかりになると思ってますし、たぶんそういう今後の公教育を補完してくるのは1つの民間サイドの形になり得ると思うんですよね。
発展していけば。
なので、自分の、学生の力しかないですけど、それである程度、それを支援できるんだったら、まあ全然、自分は嬉しいことだなって思ってるので。
社会の中の休憩場所を創りたい
今の繋がりになんですけど、じゃあ立ち上げましたと。
で、そのBranchとかBranch roomの中で行ってきた中で、その活動で佐野さんが目指していたものっていうのは、なんでしょうか?
一番大きいのは、子どもの自分らしさを引き出すことと、その引き出した自分らしさっていうのをこっちが受け入れることの2つかなって思ってますね。
まあ、早い話が、小学校時代の自分のような子どもが、Branch roomでは自分としていられるとか、そういう社会における休憩場所になるような場所になればいいなと思っているので。そういうことを一番意識したってことですね。
なるほど。社会の中の休憩場所。
をイメージしてますね、僕は。
あとは、結局、自分らしさを見つけてほしいっていうさっきの話に完結しちゃうのですが、おそらく、休憩場所とかで繋がった繋がりのほうが、生きていく支えになると思ってるんですよ。
もう学校を訓練の場所と考えると、
その逆の癒やしの場で、いやあ、それきついよねとか、いや、でも大変だけど、どうにか頑張んなきゃね、みたいなことを言い合ったほうが、おそらく心の生きていく支えになるというか。
例えば、10年後とかの時に、いやあ、あの時つらいことがあったけど、あの人がああいうこと言ってくれたし、まあ僕も好きなことあれで見つかったし、みたいな。
好きなこととか、人との繋がりみたいなことっていうのが、おそらく生きていく支えになると思うんですよね、10年後、20年後とかに。
そういう生きていく支えみたいなものが提供できれば一番だなって思ってますね。
なるほど。ありがとうございます。本当にそう思います、僕も。
最後に、佐野さん自身が目指していきたい方向がもしあれば、教えていただきたいんですけども。
いや、でもまあ、僕も23歳なんで、まだ方向、見えてないんですよね。
自分らしく生きている人を増やしたいとか、そういうふうに生きられる子どもを育てたいと思ってるんですけど、そのための方法はまだ模索中っていう感じですね。
ただ、どうしていけばいいか、どうありたいかっていうのだと、基本的に自分も自分らしくあること、というのは忘れたくないなっていうのは思ってます。
ある種、僕の場合、自分らしいというのは、小学校時代にそういう経験があって、そういう子を助けたいと思ってるのが自分らしいと思ってるんですけど。
だから、そういう根本的な気持ちっていうんですかね。だから、そういうのを忘れないようにやっていきたいなとは思ってるけど。
基本的には、話の途中にもあったような、好きを伸ばして、自分らしく生きていくことに繋がるようなものをやっていきたいっていう。
それはそうですね。はい。
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今回は長い間、Branch roomの教室長を勤めて下さった佐野さんに
インタビューしました。
2018年4月から就職されますが、
5月からはBranchには再度戻ってご訪問などはしてくださるとのことです。
長い間ありがとうございました!今後もよろしくお願いします。
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